フラットデザイン流行ってますねー。
今日は、専門のデザイナじゃないくせに、デザインについて思ってることを書いてみます。
個人的にはここ1〜2年?もっと前かな?なにかし、そんくらいから聞くようになったこのデザインのテイストが勢いを増してるのは嬉しいです。
何が嬉しいのかって言うと、「選択の余地が増えたこと」です。
表現の幅が増えるっていうか。
よりコンテンツに見合った方向性を打ち出していけるような気がして。
さらには制作者の個性もまた、出てくるのかなと。
流行り
デザインにかぎらず、世には「流行り」が必ずつきまといますよね。
「昔っぽい」
「今っぽい」
そういった印象はどうしても出てくるものです。
その中で、カワイイ、カッコイイ、ダサい、など、いろんな感想が飛び交います。
けど、いつの時代にも共通なのが、全人類がYESという答えが無い、ということ。
じゃあなんで流行りなんてできるのか。
たぶんそれは簡単で、人って流されやすい生き物だからでしょうね。
「憧れのあの人が身に着けているから」
「憧れの企業が全面に打ち出した方向性だから」
と言った具合で、根本はわりと単純な気がします。
けれど、それでもやっぱり全人類が同じ方向を向くことはありません。
なぜそうなるか。
これまた単純で、あまりに当たり前すぎるけど、「正解が無いから」だと思います。
正解がないということ
正解が無いこと、って奥深いと思いませんか?
理屈で考えるタイプの人にとってはイライラする対象でしかないでしょうけど。
「デザインなんてどうでもいい」
「変にめんどくさくて大変」
自分の経験上、プログラマ気質の人に、この手の傾向がよく見られます。
(他の環境ではわかりません。あくまで自分の経験上です)
人って自分に出来無いこと、理解できないことは嫌なものですよね。
難しいし、何より正解が無いし、どうしたらええねん、と。
その中で、なにか1つを打ち出さなければならない。
デザイナじゃない自分にとってはこの辺りが一番デザイナさんを尊敬する所です。
デザイナさんと言っても、これまたいろんなタイプがいるので面白いです。
感性派だったり、データ重視派、コンテンツ重視派、流行重視派、模倣重視派、ユーザ体験重視派、いろんなものを兼ね備えたハイブリッド派、などなど。
そうやって世にはいろんなデザイナさんがいて、いろんなコンテンツがあるので、いろんなデザインがあって当然です。
そう考えると、最終的に自由なんですよね。余計なフィルタを全て取り払って考えてみれば。
1つの目的を達成するにも、何通りのやり方もありますし。
けど、その中でも新しいやり方、新しい魅せ方はどうしても批判をくらいがちな傾向がありますが。
その繰り返しでいつの間にかいろんなセオリーや暗黙のルールだったりってのが出来上がったりするわけですよね。
言い換えれば、いろんな挑戦があるからこそ時代のスタンダードができる、とも言えます。
(※このへん書いてる時に、サッカーのスペインと、ドイツを思い出しました。はい、すみません、わかりずらいですね。)
そこを履き違えて時代にのまれて、今がこうだからこうでなければならない!みたいな考え方にはなりたくないです。個人的には。
いろんな可能性と挑戦があってこそ、ってとこだけは忘れたくないです。
デザインうんぬんにかぎらず、人として、こういうのはいろんな物事の見方に関わってくると思うので
結局
冒頭の今のフラットなデザインが出てきて嬉しいと思ったのは、「選択の余地が増えたこと」、噛み砕くと、新しい表現の形が増えた事に対してです。
けれど、今の時代だからフラットになってないといけない、なんてのはやっぱり違うと思います。
個人的には、フラットでなく、アップルが表現してきたような高級感があって美しいデザインみたいのが好きです。
ただ、あくまで個人の感性のレベルでの趣向です。
今まで、訪れたWebサイトや使用したアプリのデザインがそうじゃなかったからといって嫌だったかというと、そんなことはなくて。
結局それぞれがそれぞれにコンセプトを打ち出して表現しているのを感じるのが楽しいです。
大事なのは、自分の懐を狭めないこと。自分の趣向に合わなかったり、今まで慣れていたものが新しくなって戸惑うようなことがあったりしたとき。
自分に合わないからそれ自体を否定するのは、違いますよね。
自分がしっくりこないこと、理解できないことは無意識のうちに拒否したり、その対象について深く考えることを放棄してしまいがちです。
ほんとに、いつの間にか、知らずのうちに。
これが癖になることが何より怖いです。
デザインて、深いですね。
デザインで生きてる人はきっと、もっともっと沢山の側面からデザインを見つめてるんだと思います。
以上、デザイナじゃない人がデザインについて思ってること、でした。
おわりです。