学習するということ

パソコン、便利ですね。

もし今のこの時代にパソコンが使えなくなるようなことになったら、いろんな箇所に不便が生じるほど人の生活に密着してますね。

パソコンの凄いところの1つに、目的に応じて使い方を変えていける所があるかと思います。

自分の使用目的に合わせてカスタマイズしていく。

具体的にはソフトウェアをインストールしたり、ハードを増設したりと。

というか、何もしなかったら、ほんとにただの箱ですねw

個人的にはソフトウェアに携わることが多いのでその視点になりますけど、まず思うのはやっぱりOSって凄いなー、と。

大きく分けて機械側、人間側っていう領域があるとしたら、OSは人間側の基板、みたいな感じがします。

機械側の基板はきっとマザーボードだったりCPUだったりメモリだったりするのかもしれないですが。

となると、ソフトウェア的に見て普通にパソコンを使おうとしたらやっぱりOSの使い方を覚えることが最初の学習になって。

人はここから自分の目的を達成するために必要なソフトウェアの学習を積み重ねて行く形ですね。

要は、一通りパソコンを使えるということは、何段階かの勉強を通り越してきたわけですね。

けど、ある一定段階まで使えるレベルになると、人は新たな勉強をすることを嫌う傾向があるようです。

それほどに慣れだとか、染み付いた癖というのは大きいようです。

学習コストをかけることに負担を覚える、ということですよね。

ここに、人は「めんどくささ」を感じるのかなと思います。

元々は学習の積み重ねで進んできたにもかかわらず、一度進んでしまうとそこで感じた負担を再び味わうのを嫌うような感じでしょうか。

そもそもソフトウェアに限らず、世の中の便利と呼ばれるものってなんで便利かって言うと、その使い方を覚えるから便利さを体感できるんですよね。

覚えるまでの大変さ と 覚えてからのメリット

を人は無意識に天秤にかけてるのかもしれません。

そこで覚えるまでの大変さが勝つと、めんどくさいって思って学習をやめる。

けれどメリットが上回るなら少々大変でも学習していく。

そこの感覚の度合いって、自分の中だけの問題もあれば、周りに左右される問題もあります。

周りがスマートフォンばっかりで、自分もそうしないと何かしらの目的が達成できない、とか。

開発で相手先がgitを指定してきた、これが使えないと仕事自体が進まない、とか。

自分的に手に馴染んでるエディタがあるけど、よくよく考えたら細かいところで微妙なストレスを感じてる、とか。

新しいものを探す、新しいものを覚えるというのは、そんな感じでいろんなきっかけがあります。

あとは性格的なものも大きいですね。

目的が達成されればその過程がどれだけ非効率でも大丈夫、という人もいれば、常に考えうる限りベストな効率でもって目的を達したい人。

人それぞれですね。

あいまいですが、例を出すとしたら・・・

OSの使い方を覚えて、必要なソフトウェアの使い方を覚えて、一定のレベルに達したとします。

100のことをするのに1時間で済むようになりました。

したがって、次回以降はこの100のことをするのに常に1時間で済みます。

最初に払った学習時間、精神的負担はきっと早い段階でpayされてる形ですね。

しかし、このままずっと100を1時間でこなすことを繰り返す人もいれば、より効率よく速くやろう、という人もいます。

あと500時間の学習時間と負担を乗り越えることで100のことが5分でできるようになるとしたら。

そこの500時間と負担を嫌うのか、長い目でみて積み重なった総合値で得をすることを取るのか。

といったとこですかね・・・

ぐだぐだと書きましたけど、結局まわりまわって最後は学習していく過程、何かが使えるようになっていく過程、便利になっていく過程、そういったものが楽しいかとか好きかとかそういうシンプルな部分に行き着くのかなーって思います。

過程自体に喜びを感じれる人というか。

必ずしも結果論だけで人は動けないということですね。

総じて、「物事に対する楽しみ方を見つけるのが上手な人」になりたいなと思う今日このごろでした。

以上です。

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